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徹子の部屋コンサートを観てきた。素敵なゲストの方々、総勢6組。

出演者は知らないお年寄りばかり、きっとお客様の年齢層も高め、徹子を観に行くつもりで連れて行って貰ったが、いやはや20そこそこの私がノれる内容なのか。
それらの不安は一瞬で吹っ飛んだ。その箱を開ければ、先週の高橋真梨子ワールドとは異なる、煌びやかで華やかな中でも確かに暖かい、寒い夜にそっと寄り添ってくれるようなものであった。1時間半が過ぎる頃、私は感動と感激のあまり涙を流していた。


「背負い(しょい)きれないことがある」今夜響いた言葉の一つ。
客席と大合唱。南こうせつさんはみんなの太陽。マイクをこちらに向け、こちらのひとりひとりを照らし、主人公にしてくれる。みんな、色んなことがあるよね、だから苦しくって楽しいよね。
優しさを擬人化したようなお方である。私が思う優しさは、他者への思いやり。だから彼は多分、「みんながわかる歌」にこだわるのだと思う。みんながわかるとは、わからなくてつまらない人がいないということなのだから。
メロディーという、目に見えないものと向き合い続けるこうせつさんから発される「心」という言葉は、やけに自然に受け入れることができ、響く。目には見えない自分の心の中に、他人を思いやる優しさをいつでも忘れないでいたいと強く思う。

そうそう、目線だけで優しさを感じた。激シブオヤジ四人組、その名も、ジャッキー吉川ブルーコメッツ。メンバー同士が目配せし合っているだけで、あぁこの人たちは仲が良いんだなと感じた。そんなグループ、今の日本にどのくらいいるだろう。
一人一人が違った輝きをもつ。そんな四人が集うと、それはそれは最強だ。ぶつかる音のひとつひとつが眩しくて、自然と力こぶを握っていた。アグレッシブで、リズミカルで、それでいて尾を引きづらない。50年間走り続けてきた少年たちにしか作り出せない、音楽だ。

嬉しい、ありがとう、負けるなよ、頑張ろうな!力強い一言は2階席後方にいても、まるで私に投げかけられた一言かのように強く、深く響いた。そんなあたたかいお言葉をくれたのは、ビリーバンバンの兄、孝さんだ。
上手に動かない左側に対し、一生懸命動かしていた右側の口元の動きを、彼から発されるワンフレーズを、帽子を大きく振った仕草を、私はきっと忘れないだろう。今日、ビリーバンバンを聴けたことは、奇跡である。
死があるから、生を大切にできる。せっかく生があるのだから、頑張って精一杯あますところなく、味わっていこうじゃないの。そんなすごく大切なのに忘れてしまいがちなことを、思うのは簡単だけれど誰かに伝えるのはすごく難しいことを、これでもかというくらい感じた。
二人の声に、バンバンと、強く背中を叩かれた気がして、元気を頂いた。背筋をしゃっきりと伸ばして、大先輩方の背中を遠くに感じながら、またひとつ、私の一歩を強く踏み出そうと思う。


黒柳徹子」を確立したひとりのひとは、どこまでも自由だった。
彼女は時にも、身体にも、芸能界のお約束にも、言葉にも、常識にも、もちろん他者にも、囚われない。ただ今、ここに、自分がいる。それだけなのだ。囚われていないから、みんなが惹かれるのだ。
そんな彼女の発言は、予測不可能で、だからこそ楽しく、ヒヤヒヤしながらも、非常に面白い。ぽっと飛び出す一言一言は、彼女の一部のようにそのまま出現するから、まるで生きているかのよう。瑞々しくって爽やかで、何よりも真っ直ぐで正直なのだ。

みなが口を揃えていう。「徹子さん、綺麗ですね。」この綺麗の意味は、顔がどうとかシワがどうとか、ブスだ美人だを超越したところにあるものだ。果てしなく自由でいながら、徹子という人には、大きな思いやりがある。その部分がキラキラと輝いているのだ。



そんな徹子さんとゲストの織りなすスペシャ徹子の部屋、幸せな時間でした。